読む台湾茶

四季春物語

2020/7/7 更新

すっきり爽やかな四季春。実は台湾で生まれ、台湾で育った品種なんです。このコラムでは、四季春の誕生秘話ご紹介します。

木柵生まれ木柵育ち

光復後2年目(1946年)、張文輝は自分の茶園で見たことのない茶樹を発見しました。見るからに普通の茶葉とは違っていて、ひし形でした。その株だけが非常に生長力があったため、移殖してみないかと父に話を持ちかけました。しかし父は、たまたま育ちが良かっただけだと相手にしてくれません。

張一家は木柵樟湖に住んでいます。祖父は張迺妙(※1)、父の張佳成も茶農家を営んでいます。1940年ごろに父は木柵に茶園を購入し、その土地を又貸しする形で茶を栽培していました。

ところが小作人は茶園管理を怠りました。土地を荒廃させた上に、ついには借地代も納めなくなりました。これに腹を立てた父は、小作人から茶園を返還させることにしました。

その年の清明節(※2)が迫ってきたある日のこと。文輝は一面に雑草が生い茂り、茶樹も数株しか残っていない茶園で、新芽が出ている極早生種を発見しました。この茶園の大部分は軟枝仔(青心烏龍)だったので、自然選抜される中で変種が現れたのだと確信したのは、ずいぶん後の話です。

栽培、製茶技術の確立

1960年に父が他界した後、文輝は圧枝法(※3)で300株を育苗してみました。それはすこぶる生長が速く強健でした。幼苗が大きくなり、摘み採った茶青(生葉)を試しに製茶すると、香りが非常に優れていました。

その後も研究を重ねました。そしてついに、包種茶のような條型状にしても凍頂烏龍茶のような半球状にしても、さらには冷凍茶にしても素晴らしい香りを導く製茶法を確立しました。

この新品種を、文輝はまずは近所の茶農に紹介しました。みな興味深々で苗を植え付けてくれました。木柵で手応えをつかむと、台湾全土で売り込みを開始しました。木柵出身の張子善が挿し木で育てた苗を名間、南投等の中部茶区へと売り込み、普及を図りました。その時の商品名が「四季春」でした。

四季春は「六季春」とも呼ばれます。香りに優れ、冬場の休眠がないため年6、7回採茶できるからです。四季春の茶樹は生長が速いうえ、病害虫も少なく、干ばつにも強い品種特性を持っています。

張文輝と息子・信鐘は、四季春の茶青を用いた冷凍茶、軽発酵茶、中発酵茶の製茶法の普及に貢献しました。香りに関しても試行錯誤の末、喉韻(※4)をも生み出す素晴らしい製茶技術を確立しました。

台湾全土、そして海外へ

現在はどの茶区でも四季春が栽培されています。木柵の小さな茶園に誕生した新品種は坪林、南投、名間、鹿谷、瑞里、梅山、花蓮、宜蘭、さらにはベトナムなど海外にまで四季春の香りを漂わせています。張文輝は、小さな小さな発見がこれほど多くの人々に喜びを与えるとは想像もしなかったと振り返ります。

四季春は生命の可能性を教えてくれました。永遠に作付面積を伸ばし、私達にお茶の喜びと幸福を与えてくれることでしょう。

楊武東氏は、結びに一編の詩を残しています。

「花種雖因地、従地種花生、若無人下種、花地盡無生」
(花は地に根付き、咲くが、種を蒔く人がいなければ、何も生まれてこない)


参考資料:楊武東『四季春茶樹的探源』
資料協力:中華茶聯 張貿鴻

人気コラム・読む台湾茶